頑なに追及しつづけてきた切れ味の歴史は、
遠く仁徳稜築道の頃まで遡るといわれ、
堺庖丁の発展は、安土桃山時代から
江戸時代初期にかけてポルトガルから
輸入された煙草草を刻む庖丁を製造した
ことによります。

後に江戸幕府の保護を受けて専売となり、
唯一のたばこ庖丁の産地としてその地位を
確立し、現在に至っています。
当水野鍛錬所は、江戸から明治へと
時代が激動し始めた一八七二年に初代
水野寅吉によって創業。
打ち刃物の鍛錬の伝統を守るべく、
その技術を受け継いで参りました。

二代目水野正範は、桜井正幸、
森田正道両先生に鍛刀技術を学び、
世界遺産に登録された日本最古の建造物
奈良斑鳩「法隆寺」における昭和の大修理で
小鍛冶に抜擢され、
国宝五重塔九輪四方魔除け鎌を
鍛え奉納いたしました。

一九五二年に三笠宮殿下、一九八〇年に
三笠宮寛仁殿下と親子二代当鍛錬所に
台覧を賜り、その栄誉を後世に末永く
伝えるべく「賜台覧」を庖丁に刻ませて
いただいております。また摂津国
一宮住吉大社、和泉国一宮大島大社、
生玉神社鞴社での御神刀奉納鍛錬や、
全日本学生相撲選手権覇者への鍛刀など、
社会貢献の場も多岐にわたっています。

河豚引き庖丁は職人芸を支えるための
理想の形を追求して出来上がった庖丁で、
これもまた水野鍛錬所が開発し、
世に広げたものです。

伝統を重んじる和庖丁の世界も
常に時代とともにあり、
その時代の要請に応えるべく、
切磋琢磨を繰り返しつつ
生まれるものだと自負いたしております。
今後とも新取の気概を持って日々鍛錬に
邁進し、その切れ味とともに
時代の先頭でありつづけたいと
考えています。